毎日ごはんを作るたびに、少しずつ気力が削られていくような感覚、ありませんか?
「また残した」「また嫌がった」——そのくり返しに、胸がぎゅっとなる瞬間があるものです。
この記事では、偏食・小食に悩むママの感情プロセスを軸に、心の整理の仕方と食への向き合い方をお伝えします。
弊社は2015年の設立以来、累計10,000件以上の親子向けイベントを企画・運営してきた経験があります。
その現場で見てきた子どもたちの姿が、この記事の根底にあります。
目次
一生懸命作ったごはんを、また残された日のこと
親子向けのイベント現場で、食にまつわるお悩みをママから打ち明けていただくことは少なくありません。
その中でいちばん多く聞くのが、「頑張っているのに、全然食べてくれない」という言葉です。
「保育園では野菜もちゃんと食べているんです。でも家に帰ると、途端に食べなくなって」——こんな話、心当たりありませんか。
保育園から連絡帳が来て、給食でほうれん草を完食したと書いてある。
うれしいはずなのに、どこか複雑な気持ちになる。
「家では絶対に食べないのに、なんで?」「私の作り方が悪いの?」という疑問が、静かに胸の中を占領していく感じ。
その複雑さは、頑張っているからこそ生まれる感情です。
野菜を嫌がるなら、気づかないように混ぜ込んでしまおう。
そう思って、玉ねぎをみじん切りにして、にんじんもできる限り細かくしてカレーに入れた日のことを思い出すママも多いでしょう。
ところが、切りすぎて水分が出たせいでカレーの色が変わってしまい、「これ変なにおいがする」と子どもに一口も食べてもらえなかった——そんな体験談をよく耳にします。
時間をかけて仕込んだのに、テーブルに出した瞬間に顔をそむけられる。
その虚しさは、経験した人にしかわからないものがあります。
「ひと口だけ食べてみて」「これ、昨日は食べたじゃない」と声をかけながら、内心では「また今日も同じことを言っている」と気づいている。
隠す工夫が通用しなかった日。
おいしく作れなかったと感じた日。
その積み重ねが、「頑張ったのに」という言葉となって、じわじわと心に溜まっていきます。
心が折れるというのは、一度の大きなできごとではなく、小さな「また今日も」のくり返しの果てにやってくるものです。
それでも次の日も台所に立っているなら、あなたは十分すぎるほど頑張っています。
「食べさせなければ」というプレッシャーはどこから来るのか
保育園や幼稚園の個人面談で、「お野菜はご家庭でも積極的に出してあげてください」と言われた経験はありませんか。
善意から出た言葉だとわかっていても、「私のごはんが足りないと思われているのかな」と感じてしまうことがあります。
おかわりを推奨する給食システムがある園では、「今日は4回おかわりしました!」という報告が届くこともあります。
「うちの子がそんなに食べられるはずがない」と驚く一方、「家では全然食べないのに」という思いが頭をよぎる。
他の子と比べているわけではないのに、気がつくと比べてしまっている——そんな焦りと罪悪感がじわじわとにじんでくる瞬間です。
「偏食は親の食育のせい」「好き嫌いが多いのは甘やかしているから」——こうした言葉を、どこかで目にしたり聞いたりしたことがあるかもしれません。
根拠のある話ではないことが多いのですが、プレッシャーの形は案外そういうところから来ています。
親が責任を感じるほど、「食べさせなければ」という義務感が強くなり、食卓がどんどん張りつめていく。
その緊張感が、子どもの食欲をさらに遠ざけてしまうこともあります。
「食べさせなければ」から「食べられるものでいい」への転換は、諦めではありません。
子どもの食の歩みを信じるという、前向きな選択です。
すべての野菜を今すぐ食べられるようになる必要はない——そう思えた日から、食卓の空気が少し変わることがあります。
食べない子が「食べた」瞬間——体験が変えたこと
秋に芋ほり体験へ行ったら、それまでサツマイモを食べなかった子が、焼き芋を自分からほおばった。
そういうエピソードを、弊社のイベント現場でも何度も目にしてきました。
食卓で出すと顔をそむける食材が、収穫体験の後では「自分で掘ったお芋だ」という感覚に変わり、口に入れることへの抵抗が薄れるのです。
食材と「出会う」という体験が、食卓での拒否反応を変えることがあります。
子どもにとって、食材はもともと「知らないもの」です。
見たことのない色や形のものを口に入れることへの警戒心は、臆病でも偏食でもなく、ごく自然な防衛反応です。
ところが、自分で土を掘って出てきたもの、自分で皮をむいたもの、自分でかき混ぜたものは「知っているもの」になります。
「知っているもの」に変わった食材は、口への距離がぐっと縮まります。
弊社が運営する料理・収穫体験ワークショップの現場でも、同じことがくり返し起きています。
最初は調理台の前で腕を組んでいた子が、野菜を自分でちぎる作業を始めた途端に目を輝かせる。
「これ入れていい?」と聞きながらボウルにトッピングした野菜を、ほかの場面では食べないのに自分でよそったスープの具だけは食べる——そういう場面を、これまで何度も見てきました。
お手伝いも同じ原理です。
「野菜を洗う係」「かき混ぜる係」として参加すると、ちょっと食べてみようかという気持ちが生まれやすくなります。
「食べなさい」と言う前に、「一緒に作ろう」という関わり方が、食への扉を静かに開くことがあります。
教えるより、一緒に触れること。
それが、偏食の子どもへの一番ハードルの低いアプローチです。
わが家の「ちょうどいい落としどころ」の見つけ方
「嫌いなものは3個まで。それ以外は食べる」——このルールを家庭で決めているというエピソードを聞いたとき、なるほどと思いました。
完全に食べられるようになることを目指すのではなく、「3個だけは許す」という余白を作る。
子どもにとっても「全部食べないといけない」ではなく「3個は嫌いでいい」という安心感が生まれます。
そのルールの中で少しずつ嫌いなものが減っていくのを長期的に見ていく、という視点の切り替えです。
栄養を一食・一日単位で考えようとすると、どうしても焦りが生まれます。
「今日はたんぱく質が足りなかった」「野菜がまったく食べられなかった」と一つひとつに注目するより、一週間トータルで「まあ悪くなかったかな」と見渡せる方が、親の気持ちも楽になります。
子どもの体は、日々の積み重ねで育っています。
一食の結果だけで判断しないことが、長くごはんを楽しく作り続けるための体力を守ることにもつながります。
みじん切りカレーの失敗談に戻れば、「隠す」ことのリスクは食材の形が変わることだけではありません。
正体がわからないものが入っているという不信感を子どもが持つと、逆に警戒心が強くなることがあります。
「これはにんじんだよ、小さく切ったから気づきにくいけどね」と正直に伝える方が、案外すんなり食べてくれる場合もあります。
隠す・騙すよりも、「あるよ」と伝えた上で「ちょっとだけ試してみる?」と問いかける方がうまくいくこともある、というのが現場で得てきた実感です。
おかわりの仕組みも、使いようによっては力になります。
「これ食べたら、デザートのフルーツもいっしょにどうぞ」という流れを作ると、「セットで食べることへの達成感」が生まれやすくなります。
ご褒美で釣るというより、食事のリズムを作る感覚です。
どんなルールが合うかは、家庭ごとに違います。
「よそはよそ、うちはうち」で決めていい。
その家庭なりの「ちょうどいい落としどころ」は、正解集から選ぶのではなく、試行錯誤の中で見つかるものです。
まとめ——「食べない我が子」と向き合った先に見えたこと
「受け入れる」は、諦めではありません。
この子のペースで食の世界が広がっていくことを信じる、という選択です。
心が折れた日があったとしたら、それはそれだけ真剣に向き合ってきた証拠です。
毎日台所に立ち続けたこと、工夫を重ねたこと——それ自体が、子どもへの愛情です。
次の一歩として、食卓の外で食材と出会う場に連れ出してみませんか。
芋ほり体験、料理ワークショップ、収穫体験——食材を自分の手で触れる機会が、偏食の転機になることがあります♪
イベントプラスでは、そうした親子の体験の場を首都圏を中心に毎週開催しています。
「大人になると食べるようになる」を信じながら、今日の食卓をもう少し軽くして、一緒に過ごしていきましょう。










